福島県浪江町 マリンパーク浪江 探訪記録
2020年11月07日 6:30... 福島県浪江町向川原付近...
舗装された道から外れて、未舗装路に入った。土地の造成中で、重機や資材が目立つ。
路面状況が悪くてたまにタイヤが空回りする..
しばらく走ると目の前に圧迫感のある堤防が現れた。

壁の向こうは晴れてそう..

無機質な、冷たい浜辺を励ましてくれる。

振り向くと造成中の大地と減容化施設...その左隣に..

マリンパーク浪江
マリンパークなみえの施設紹介
運動から遊びまで家族で楽しめる複合施設です。
※東日本大震災の影響により、2011年3月11日より休館中です。
本館にはプラネタリウムがあり、広い運動広場でサッカーやテニスを楽しむことができます。お父さんには嬉しいゴルフ場も併設されており、双葉牛や新鮮な魚介類を使ったバーベキューも楽しめるので、家族みんなで楽しむことができます。展望台や親水公園などは無料で遊ぶことができるので頻繁に通うことができますし、お子さんにとっても思い出に残る素敵な場所になるでしょう。自然が多く、夏は涼しく、冬の降雪が少ないので合宿にも適しています。
震災前




写真右側
建物と地面にかなりのズレが生じてます。階段2、3段分の高低差があります。
この堤防部分に道路と駐車場の入口がありました。(震災前画像参考)


津波の衝撃でドアが歪んでる。凄い威力...

右のドアは内側に、左は外側に変形してます...

一階は完全に浸水。

床をよく見てみると水が流れたような跡がある。瓦礫の散らばった様子に違和感。

通路脇に「環境省」と書かれたテープが巻かれた物体。放射性廃棄物でしょうか。

通路を進んだ先に地下へ繋がる階段を発見。降りてみたはいいけどウェーダーがないので引き返そうと思います..

奥に部屋がありますね。左にも道が続いてるように見えます。この先は次回行きます。

プラネタリウム。凄く空気が悪い...生臭さと埃っぽい重たい空気、早く出よう。

スライドタイプの仕切りだと思います。レールごと外れて、壁にもたれかかってます..

天井もボロボロです。海風のせいか、海水のせいか錆も凄いです..


破裂しないか心配。

2階に上がってきました。

休憩スペース?椅子が並べて置いてあります。

右奥に見える灰色の建物がプラネタリウムです。

ー
ー

ここは...津波の被害がないのでとても綺麗です。あまり言葉が浮かんでこない。
ただ、静かで、美しいです。

写真奥に見える施設。あの場所には住宅街がありました。普通の、普遍的な街並みがありました。






ビールと日本酒もありました。

この場所、震災前の画像と比べてみると...元々親水公園でプラネタリウム側は桜等の樹木があり、平坦な場所は河口を整備した場所でベンチや花壇があった場所ですね..
あまりにも衝撃的です。あんな自然豊でBBQやゴルフやサッカーもできた場所だったなんて想像もつかない。
p.s この記事を執筆してる(2022年5月)今、ロシアとウクライナとの間で戦争が起こっています。街は破壊され、その様子を私たちはテレグラムやツイッターを通してみることができます。私は偶々平和に暮らせているだけ。
福島県浪江町 探訪レポート (fukusima)4「終」
商店街を抜けて、少し歩いた。家や店が見えても近づいてみたら廃墟。そんなことの繰り返し。たまに車が止まっていたり管理されている家を見ると安心する。なぜなら、放棄された建物には人間の背丈を超えそうな草や木が生え、アスファルトは見えず、壁にはツタが生えているからだ。中には窓が割れてる建物もあった。こうなると帰還は困難だ。そもそも年月が経ち過ぎているがために帰還しようと考えている人自体かなり少ないように思える。
商店街の裏手、工場。 誰もいない空間に、柔い光と反射した埃が夏とは思えない暖かな空間を作り上げていた。



2階。色々な道具が壁に掛けてある。なんの工場だろう。一階には塗料の缶がたくさん置いてあった。


外に出て、少し歩いてる。

洗濯物が干されたまま...

眼鏡屋さんがあった。店内が見えたのでガラス越しに。
正面入り口のガラスが割られていた。
現在14時30分。もうすぐ代替バスが来るので駅に戻ります。これを逃すと次は17時過ぎになるので...時間的に狭い範囲でしか見れなかったのでまた来ようと思います。

JR富岡駅に着きました。

駅前は綺麗なマンションやアパート、お土産店があります。

海側は...
(2021年8月追記ー浪江町、現在ではかなり人が戻ってきており、商業施設やスーパー、飲食店、住宅等、解体及び新築や建て替えがかなり進んでいます)
(今後は双葉郡を中心にレポートを上げていく予定です。)
春日鉱山 美束坑 探訪記録
66452019年5月4日
岐阜県。

県道32号線を走る。カーブが多いが道は広く走りやすい。目的の建物に近づくにつれ鉱山関連と思われる廃墟が目立ってくる。
ー見えてきた。

春日鉱山/美束坑
1951年開坑、70年代〜80年代閉抗?2000年には既に閉鎖されてからかなり時間が経っていた。春日鉱山には全部で3つの抗口があるのだがこの美束抗(みつか)が最初に稼働した抗口であった。
劣化具合から見るに恐らく閉抗されたのも美束抗が一番早かったのでは。内部にある遺構からおおよその年月が分かるかも知れない。
春日鉱山ではセメントやガラス、石灰の原料となるドロマイト、セラミック製品や食品添加物、石灰、石綿の代用品等に使われる珪灰石を産出していた。
簡単な紹介をしたので早速内部に入りたいのだが、道路に隣接しているのがなんとも...車の往来が途切れた瞬間を見て素早く敷地内の土嚢を乗り越えて隠れよう。

...かつてトラックや人が通っていた場所には水が流れていた。
手前に積まれていた土嚢は、この水が道路に溢れ出ないように置かれたというわけか。今はその土嚢も所々破けて植物が芽を出しており自然と同化しつつある。
それにしても水が綺麗。飲めそう。


先ほどのの写真左側のブロック塀あたりから。

苔ですごく滑るのでコンクリの割れたところを掴みながら進む...

ひんやりした空気と新緑...綺麗で、幻想的な、夢の中にいるような...

上に登ってきました。上にベルトコンベアが伸びています。これに採掘物を載せ、適当な大きさに砕き写真奥の漏斗みたいな場所からトラックに積む?でもどこの過程で砕いているのだろう。何処かに粉砕する場所があるはず。

この川?は奥の砂防ダムから来ている。創業当時はどういう風に流していたんだろう。


ところで今登ってきた道はスロープ状になっていたんですね。
防火水槽のような場所から大量の湧き水が流れている。表面のアスファルトは見えず、今は清流と水生植物が主役。

奥に部屋があった。

さっきの部屋から、川を渡ってトラックに積む場所へ鉱石が運ばれる。

採掘した鉱石をトロッコ(電車)に載せ...

よく見るとトロッコのタイヤやワイヤー類が散乱している。

近くに坑口があった。鍵がかかっていた。たまに開いてるらしい。
もう少しリスクを負えば事務室や、配電盤等が見れるらしい。次回は行ってみようか。
旧松尾鉱山 緑ヶ丘団地 探訪記録 後編

午前中は別物件を観ていたのと、アスピーテライン閉鎖まで残り一時間しかないので全ての棟を見ることは難しい。なので後一棟観たら今日は撤退しようと思います。でも次来れるとしたら来年の秋か...仕方ない...。




ほとんどの部屋がこうして床が抜け落ち、基礎やコンクリが剥き出しになっている。

階段がある、登ってみよう。


電気のスイッチ。アメリカンスイッチというのでしたっけ...良いですよねこうゆうデザイン...

台所。この建物の間取りは2DKなのかな?


よく見ると窓の周りだけレンガ造りになってる。凝ってるなぁ....


この棟は屋上まで行けるらしい..

右に岩手山...晴れてたら、シートを引いてお弁当を食べたい。

一階に降りてきました。

そろそろ帰ろう。

アパートの窓から観る夕焼けは綺麗だろうなぁ...でも私はその光景を見ることはできない。
もし観たいのなら
道路閉鎖まで15分...急ごう。
旧松尾鉱山 緑ヶ丘団地 探訪記録 前編
令和1年10月29日 15:15-岩手県八番平

小雨が止んだ。冷たい空気にまろやかな光。目的の建物は既に見えていた。
準備をして車を降りた。
旧松尾鉱山緑ヶ丘アパート
かつて東洋一の硫黄産出量を誇り、「雲上の楽園」と呼ばれていた。

かつてアパートへアクセスするためのゲート...?(付近にある工事関係者の駐車場脇にもかつてはこの街へアクセスできそうなゲートがあった)車道だったらしき場所からアプローチしてみる。一歩草地に入ると人の背丈を超える草木が迫る地帯になる。
夕暮れ、廃アパート郡、枯れかかったススキが擦れる音と少し冷たい風...最後に残るのは寂しさだけか。それは違うか。。
この場所で生を感じるのは先駆者が残したこの小道だけ...

少し歩いたら陽が出てきた。周辺がより一層オレンジ色になり不思議な世界になる。
カメラを構えようとしたら車の走行音がしたのでしゃがむ。プロボックス...お疲れ様です..
”同じ人”だったら鉢合わせしたらどうしようとか考えるが、仕事人だったようで一安心。あのアパート群へのアプローチルートは恐らくここしかない。と言うのも、この道を見つけるまでに色々進んでは断念したからです。ここ以外の道はぬかるんでいたり硬い低木が繁茂していたり建物の基礎?のような縦穴が植物に紛れて落とし穴のように点在していた。このルートが一番安全?だと思う。まぁここ以外にも煙突方面や送電線下の送電設備管理道からも行けそうではあったが。
小道を進んでいましたが、途中で道が不明瞭になってきたので一番近い場所にあったアパートに入りました。
このアパートにはそれぞれ い・ろ・は・に・ほ・へ・と という名前があると聞いたので一棟ずつ見て行こうかと思います。まずはい号棟からです。

い号棟

ストーブが均等間隔に並んでいる。それにしても4面コンクリ打ちっぱなしはいくら暖房設備があると言っても寒いよ...

それにしてもこの状態、全て自然にこうなったのか?まるで戦の跡地のようだ。






廊下を上がって各部屋を。
部屋の中に入るのは断念。


写真左に見えるのは独身寮。

建物の中央付近にある階段を登ります。隣の棟と繋がっているみたい。冬は雪で往来が出来なくなってしまいますからね。

...元々何があった場所...?

大きい棚が何個か...部屋の中には大量の木材。

絵が飾ってある

少し休憩...風が冷たい....寂しい匂いがする


後編へ
旧和賀川水力発電所 探訪記録 後編
11:00₋
サージタンクを一通り見て、携帯食料をモソモソと食べて先へ進む。

サージタンクから発電所方面へ歩くと、このように石垣で出来たスロープのような道が出てきた。割と踏み跡が出来ていて現役感が出ているのはやはりそれだけ探訪者が多いという事なのだろう。

下の平場には一面に秋が広がっている。

少しづつ、見えてきました。インターネット上でしか見れなかった夢がもうすぐそこに…今自分が歩いている道、そう、道と言える程、筋がはっきりしてます。探訪者の多さ故なのか元々あった道の成れの果てなのか…
…そして…
…

…見つけました。ずっと見てみたかった。ある意味人生の目標の一つであった。
旧和賀川水力発電所

すごい…もうそれしか口から出てこない。己の語彙力無さに歯がゆさを感じる。


右側から、地下と上階に行けそうです。1階から探索する。

玄関横の部屋。左右に大きい何かを置いていたと思われる土台。一瞬、仮眠室かと思ってしまいました。

私、電力関係の事は一切分かりませんからこの構造物が何なのかすら分かりませんが、周辺には何かを固定していたボルトや基礎がたくさん。残されたものから、操業当時の風景を想像することしかできません。しかもそれは推測に過ぎない。全て、後付けの、何か。
そんな思考をしているのもここでは私一人。時間を経過させているのは私だけ。変わらないものの過去を想って、その空間の針を進めたって、そこに意義など存在しない。
次の部屋に向かう -

……言葉が出てこない。カメラを持つ手も動かない。取り敢えず全体を収めようと思いファインダーを覗くが、構図が決まらないのではなく分からない。でも、その中でも良いと思える構図でシャッターを切る。


この空間にたどり着くまでに命の危険を感じる箇所や、「無理なんじゃないか」と思った場面もあった。

でも今私はその一切を忘れている。「命の危険を冒して良かった」「諦めなくて良かった」。それほどまでに心打ちひしがれている。大袈裟だけど本当にそう思った。次回は多分思わないだろう。



「美しい」とか 「綺麗」とか 少なくとも私はこの情景を言葉では表すことが出来ない。

階段を登り2階。何が設置されていたのだろうか。せめて機材の一つ残っていればと思うが一般的に考えてそれはあり得ない…「縦に長く大きい何か」が置かれていたとしか…なんとなくサーバールームを連想させる。

反対側。

ちょっと進んで振り返る。

さらに進むと部屋があった。事務室...?床が柔らかく今にも抜けてしまいそうなので慎重に....



地上の最後の部屋。
地下へ ー



今日はこれ以上下へは行かない。

帰りは行きと同じルートではなく、渡河で帰りたいと思う。このルートなら山ルート?の数倍早くアクセスできる?と川を目の前にしてふと思いました。なのでもちろんウェーダーなんて持ってません。でもまたあのルートを辿って帰るのはちょっと死ぬ。それにあの手摺りを伝って降りるのは危険すぎる。かと言って、別に渡河が安全なわけではない。

そしてこの北本内川、水質は最高で浅い場所はまるでビーチのようだが意外と深さがあって流れも強い。大人の膝上程度の水深なので注意して渡らねば。この後用事があるので靴と衣服を濡らすわけにはいかないからほぼ半裸状態で...感想ですが、11月の岩手の川を半裸で渡るのはお勧めできません...滑るし、林檎社製品は水没するし寒いし...後、この地域熊の出没件数が県ダントツで高い場所なんです。しかも水場。結構びびってました。単独と言う事も大きかったですね。

何はともあれ無事故で林道まで上がって来れました。濡れた服をハンガーフックにかけて、荷物を詰め込みエンジンをかける ー
p.s
ここは私が今まで探索してきた場所の中でもかなりアクセス難易度の高い場所です。昔は橋がもう一つありそこから楽にアクセスできたようですが、今では朽ちた木材と切れたワイヤーが残るのみです。因みにその橋は東北電気製鐡行...。崩壊の様子からして恐らく積雪や増水か何かで川中央付近の橋の部分が流されたのでしょう。現在は渡河か、踏板のない吊り橋を渡る→崩落箇所付近をトラバース→排水路に設けてある管理用の手摺り?を伝って行くしかない。こんなに進入難度の高い場所が他にあるでしょうか?(ある)訪問する際は最低2人以上で、熊除けスプレー、渡河の場合ウェーダー必須です。ワイシャツに作業着で挑んだ自分に説得力はありませんが....
福島県双葉町 探訪記録1
2020年8月14日9:00...福島県双葉郡双葉町周辺...
車を止め、準備をして車を降りる。
まだ朝だけど暑い...いや、立ってる分にはいいのだけれど機材と一緒に歩くと汗が滲んでくる。取り敢えず水分と現地の情報が必要なので駅横の案内所?に入りました。お兄さんが笑顔で出迎えてくれ、町の現状について色々教えてくれました。どうやらこの町には住めるには住めるがライフラインが電気しかなく、水道、ガス(プロパンも?)未復旧。もちろん病院、薬局、学校、コンビニ、図書館...その他色々な施設や設備が不足している。スーパーやコンビニ、ガソリンスタンドは車でちょっと走った所にありました。双葉駅周辺の住宅街からは結構離れていますが。
双葉町の復興計画では、2022年の春頃までに復興再生拠点の全域避難指示解除による移住開始。2027年、つまり全域避難指示解除から5年後までに述べ2000人の人口を目標としているらしいです。そして双葉駅前にも商業施設の建設が進んでいるとの情報も。復興なのかはさておき、これで少しでも移住者が増え、復興に繋がる事を祈っています。
彼らから一通り状況について説明を受けた後、「隣の建物で積算線量計の貸し出しを行っているから好ければ借りてみては?」と言われたので借りる事に。書類に必要事項を記入し免許証のコピーを渡した後、線量計を貸してもらった。ここには結構私みたいなのや鉄オタや外国人が来るらしい。少年単独で来た事もあったと言う。そんなこんなで施設を後にし自動販売機でポカリを買いカメラを首に掛ける。

範囲がとても広いので取り敢えず目に入った場所から行く。駅前からすぐの路地。
一見普通の田舎の住宅街といった感じだが、写真に写っている家屋は全て廃墟。私の地元とたいして景色が変わらないせいか変な親近感というか、身近な事に感じます。
避難した当時から変わらない、何も。完全に時間が止まっている。

家には何か急いでいたような雰囲気を感じた。身支度する暇もなかったのだろう。屋内の残留物を見た瞬間当時の回想シーンが(もちろん想像に過ぎないのだが)流れる。どういう気持ちでシャッターを切るべきなのか分からない。ただ、ブログに載せるから出来るだけ分かりやすいように考えながら撮ろうと思う。
上の写真の柵の破損の仕方が気になった。無理やりこじ開けられたような。動物?
(聞いた話だが、地震の後、突然警察官がやって来て「避難してください」と言われたらしい。)

先ほどの路地を進む。おそらくここは...駐車場か路地か...少なくとも車が通れる場所だったのでしょう...草木に覆われた路面に苔むした車...写真奥には木まで生えています。しかも車の真横にです。元々あった木かは分かりませんが。それにしても9年でここまで...

苔が凄くて車内を見ようとするも諦めました。

路地を抜け、ちょっとした通りに出ました。青空と、蝉時雨と何かがカランカラン当たる音。
静かで閑散とした町。先ほど電気は通ってると聞いたのですが、電柱とか曲がってても問題ないのでしょうか。

一見普通に稼働してそうな感じですが動いてません。去年浪江を探索した際に普通にお金入れて買おうとしたら買えなくて駅まで戻って水分補給したのは良い思い出()見た目は動いてそうなんですけどね、外観や見本の品を見ると当時のまま動いていないのが分かります。
当時はよく火事場泥棒的な犯罪が多発したと聞いてましたがこの周辺はあまりなかったのかな?

ガソリンスタンドの奥にある事務室兼待合室的な部屋。中は酷い状態です。地震、盗難、獣害...恐らくどれも当てはまるでしょう。ただ、割れている箇所は一つでさらに結構小さいので動物説が有力な感じ。

ガソリンスタンドの向かいにある消防団詰所。ここは荒らされた感じがあまりしません。四角く並べられたベンチ椅子の中央にストーブ...空のカップ麺の容器に毛布、発電機、懐中電灯...
簡単に当時の状況を想像できてしまう風景をとても悲しく思います。言葉が出ない。あれから何年たった?一体今まで何してたの?
並ぶ防火服。大量の空の段ボール。


路地を抜け川の土手に出た。この周辺は駅前より荒廃しているというか緑が多い気がする。元々はこの草地にも家が建っていたのだろう。残った基礎やブロック塀などから想像する。


ガソリンスタンド。奥の電柱が立っている場所は国道6号線。歩いて渡ることは出来ない。つい最近バイクの走行が可能になったばかり。スタンド内に入ると多くの運転手に白い目で見られているような気がして気まずいので移動します。

先ほど「歩いて渡ることは出来ない」と言いましたがガソスタのすぐ隣に地下道がありました。すいません。ここを歩いて向こう側へ行きたいと思います。この地下道を左に進むと「厚生病院」があるそうです。行ってみましょう。案内所のお兄さんは「病院もない」と言っていたので稼働してるなんて期待はしていませんが...

ちょっと埃っぽい。地上より少し涼しいです。
この階段を上がり病院を目指しましょう。

道路から病院を見た時驚いた。普通に車が止まってて特に閉鎖されてる雰囲気もない。でも次の瞬間、駐車場の色んな場所から生えている草を見て目が覚めた。考えてみたら当たり前のことだが。よく見たら車は苔むしておりタイヤの空気は空っぽ。年式も10年以上前の車ばかり。
そういえば、昔は今ほど厳つい顔つきの車は珍しかったよなぁ...

今でも鍵を開けてシートに座り、セルを回せば動いてくれそうだ。こうして見るとなんだかみんなオーナーの帰りを待っているんじゃないかって思ってしまう。このまま10年先もここにいるのだろうか...

裏から見ていこうと思う。写真右側に正面玄関がある。

裏手に回ってきたは良いが...草の勢いが凄くてほぼ藪漕ぎ状態..秋に来るべきだったかなぁ...それでもなんとか広場のような場所に出た。
真ん中に煙突。左下の平屋はボイラー室。周辺には洗濯室や掃除用具が置かれた倉庫などがあった。バックヤードですね。

この先は...検査科?なんの検査だろう。気になるが中には入れそうにもないので先へ進む。
このまま進めば正面玄関の方に回れるはず。

正面に出た...わけではなさそう。なんか別の施設名が書かれた看板が。でも道路には出れたので一応この病院を一周した。

どうやらこの場所には病院・看護学院・老人ホームの3つの施設があるみたいですね。右側にある建物が恐らく老人ホームだと思うので後で見てみましょう。先ほど病院を一周したと言いましたがまだ奥に何かありそうですのでそっちを先に観に行きます。

別病棟への連絡通路がありました。
それにしても、人がいなくなると本当にこんな景色になってしまうのですね..
上の写真ですがなんだか、ここだけ妙に落ち着いていて、綺麗に廃れているという印象。
少し立ち止まって、思った。私は今廃墟探索者としてここに居るのか?街が変わって行くのを記録すべきと言う使命感で撮影してるのか?
どちらにしてもエゴであって、批判的に思われるのは理解している。
美しさ(景観、哲学)を感じるから廃墟を撮る。この場所にいるのは何を感じたからなのか。
美しさとは違う何か感情的なもの。

病院はこれで一周したようです。内覧はできない(多分)ので隣の建物を観に行きましょう。
何箇所か窓が割れていたり空いていたりするので入れないことはありませんが...

施設名が見当たらないのですが...恐らく入居型の老人ホームでしょう。

入居者を避難させることに尽力されていたのでしょう、散乱する車椅子に介護用ベッド、担架に介助用の道具...片付ける暇なんてなかったことは想像に難くない。

停電が起こり発電機で対応...倒れた自転車は...。
写真には写っていないのですが下駄箱や受付も、今日、普通に職員が勤務しててもなんら不思議に思わない。日常と非常事態が混在したしたまま9年間。「まるで時間が止まっているようだ」ではく「時間が止まっている」。


看護学院の方はまた次回観に行きたいと思います。
どうせ、消されてしまうでしょう。資料館では決して見ることの出来ない情景。これらの建物もいつか解体され、「昔こんなことがあったんだよ」って映像や写真、一部の遺構でしか伝えられなくなってしまう。もし、少しでも関心があるのなら自分の目で見るべきだ。それしか、